街の変貌(相談役ニュースレターより)

夢工房だいあん 不動産部のホームページをご覧いただきありがとうございます。
だいあん相談役の光田敏明が関係者の方へお届けしているニュースレターより、地域に関する内容を抜粋して皆様にもお届けいたします。

街の変貌

 新綱島駅周辺を巡ってみた。旧家の池谷邸脇から29階建てのタワーマンションを見上げた。東横線綱島駅東口が変貌中である。
 昔の料亭「新水」が新駅に接続した「SHINSUI」ビルに生まれ変わり、12階建ての3階は回廊風に新刊書が並んだツタヤの大型店だ。その一角にはスタバの70席があり、反対方向には200席のSHARE LOUNGEがある。4階から上層階は高齢者向けの施設になった。
 市の施設「ミズキーホール」は手前ビル4,5階、400席はある様だ。ギャラリースペースで童話の原画展を観た。私共の店頭で展示会をされた「港北美術区民会」の会場に今月なる。
 新駅に至る迄の綱島駅東口直前エリアの再開発の計画もある様だ。既に計画内の店舗の店じまいが散見される。

 私が本厚木から転居したのは昭和43年の暮、港北ニュータウン計画地の買収の頃だった。その頃の綱島駅の印象は薄いが、今の不動産部の裏口、東照寺前のバス通りは砂利道だった。
 昭和49年、西口の料亭「しげの家(や)」の敷地半分を購入して本社ビルを建てた。屋上の「大安」のネオン看板は東横線の車窓から見え隠れした。おそらく4,5階のビルは当時は少なかったのだろう。
 残り半分の土地は30年前に5階建てになった。私が担当して「横浜大安建設」が施工、オーナーは「しげの家(や)」さんの娘さんの代になっている。


 東口の再開発に呼応するかのように西口の変貌も進んでいる。バス通りの個人商店も高層化した。曽ての温泉と料亭旅館街がマンション、商業施設になり、人の流れの中心的な役割を果たしてきたイトーヨーカ堂が8月に閉店になる。
 そう言えば、昔、西口のビルの2階にレンタルレコード店があった。うす暗い小さな店だった。店名は覚えていないが「ツタヤ」の前身の「蔦屋書店」はレンタルレコード店だったと聞く。

令和6年5月(No.44)より抜粋