2024年 暮れのご挨拶(相談役ニュースレターより)

夢工房だいあん 不動産部のホームページをご覧いただきありがとうございます。
だいあん相談役の光田敏明が関係者の方へお届けしているニュースレターより内容を抜粋して皆様にもお届けいたします。

暮れのご挨拶

 「多事多難」の言葉が多用されるような年でございました。
ような~と申し上げたのは、他の表現もあろうかと思ったからでございますが、皆様にはどのような年でございましたか~お伺いいたします。
 私がこの言葉で一年を締めくくったのは70才を超したリーマン・ショックの頃からでございます。

 それまでは「多事多難」は世間では多用されていたのでしょうが、どういうわけか私の言葉に出てこないものでした。
前職の会社員時代の20代後半(今から60~65年前)世の中にも私の身辺にも想定外のことが多発し、混乱したこともあったでしょうが、身を置いていた企業の図体が大きかったことと成長過程にあったため、今に思うと気づくこともなくやり過ごしていたのでしょう。

 拙いこの便りで繰り返し私の不動産業界入りのことを伝えてきましたが、順調に業績を伸ばしていた昭和40年代の終わり頃のオイルショックで生じた「多事多難」の直面にも、この言葉を使った記憶がないのでございます。
 私は借家暮らし、先代の自宅を売却して難事解消の一助にしましたが、間もなく騒がしかった世の中も落ち着き、日本列島改造論に誘発されてか、不動産の値上がりが先導するバブル経済に向かったのはご承知かと思います。


 勝手なものでございます。
 無尽蔵にゆるんだ金融が一転していろんな規制が掛かり、舞い上がった中味ないアワは空中で破け地上に落ち存在すらなくなっていったのでございます。
 そのような有様を同じ業界に生きる者として見ておりましたが、間もなく他人事(ひとごと)ではなく我が身にも迫ってきたのでございます。
 先代が故人となり、社員と共に見えない道をひたすら歩いておりましたが、事態の「多事多難」は頭上をすっ飛んでいたのでありましょう。言葉として留めることなく、直面するコトの対応の日々でございました。

 それが先述しましたようにリーマン・ショック頃からか多用する言葉になってきたのでございます。
 便利な分かり易い言葉を言い得て妙な場面でも使っていなかっただろうか? と振り返ったりしておりますが、ひょっとすると、言葉が事態をつくり上げているのだろうか、過剰な表現でコトを盛っているのだろうかと思う昨今でございます。

 言葉によって傷つき、言葉によって生かされるのは、誰でも経てきたことでございましょう。故に「多事多難」の意味するところは何であろうか~
 世の中の事象を表すことは分かっていますが、この言葉は届ける先にどのような意味をもつのだろうか~と考えるのは愚かでございましょうか~

 混乱する世の中に混乱する言葉
 「先に言葉ありき」
 創世は神の言葉から始まった。言葉はすなわち神であり~云々と「新約聖書」の出だしを哲学の先生に教わりましたが、宗教的なことはともかくとして、世の中の動きから言葉が生じる「新語」の話題性もある一方、言葉が世の中を創り上げている様に思えて、年初からの「多事多難」を「多縁多謝」に置き換えて、年末のご挨拶にさせていただきます。

令和6年 師走   光田敏昭 合掌

令和6年12月(No.51)より抜粋